谷村新司さん逝去「始末書の数はすごかった」…伝説の“下ネタラジオ”と、生前語っていた“スケベの矜持”

2018年9月に中国でのコンサートに登場した谷村新司さん。中国でも高い人気があった(写真・Imaginechina/アフロ)

10月16日、歌手の谷村新司さんが10月8日に亡くなっていたことが明らかになった。享年74だった。

1972年にデビューしたバンド「アリス」のメンバーとしても知られている谷村さんは『冬の稲妻』、『チャンピオン』といったヒット曲を連発。

ソロ歌手としても『昴 -すばる-』、『いい日旅立ち』といった曲で『NHK紅白歌合戦』にも16度出場を果たした。

2023年3月に急性腸炎の手術を受け、年内は治療に専念することを発表していたが、その後、復帰することなく帰らぬ人となったーー。

谷村新司さん逝去「始末書の数はすごかった」…伝説の“下ネタラジオ”と、生前語っていた“スケベの矜持”

「毎年、日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』では、加山雄三さんとともに谷村さんが作詞、作曲を手がけたテーマソングの『サライ』を歌うことが恒例になっていました。

昨年限りで、加山さんが“コンサート活動引退”を発表しましたが、『今年は谷村さんだけでも登場があるのではないか?』と業界内では期待されていました。

しかし、番組には登場せず、病床からの谷村さんのメッセージが読み上げられただけだったんです。そのこともあり、少し前から病状が心配されていました」(芸能記者

谷村さんは音楽活動もさることながら、ラジオ番組やバラエティ番組にも積極的に出演し、タレントとしてのイメージも強かった。

なかでも、デビュー当初の谷村さんのイメージを決定づけたのは、文化放送の『セイ! ヤング』のパーソナリティを1972年10月から1978年3月まで務めたことだろう。

途中から、ばんばひろふみとともにパーソナリティを務めた『セイ! ヤング』だが、伝説ともいわれるコーナー「天才・秀才・バカ」でも知られている。

リスナーからネタを募り、それに対して谷村さんらが「天才」「秀才」「バカ」の3つから採点するというものだったが、送られてきた投稿の大半は、ほとんどが「バカ」なものばかり。

そして、今ではけっして放送できないような放送禁止用語が使われた下ネタも非常に多かったのだ。

これについて、1991年に本誌が取材した際に、谷村さんはこんな“舞台裏”を明かしていた。

「(リスナーが)一時ペンネームに凝り始めて、放送禁止用語、つまり関東の4文字とか書いてくるんですが、僕は関西の人間なので抵抗なく言ってしまいまして……。始末書の数はすごかったようですね」

このコーナーも相まって、今ではすっかり影を潜めていたが、谷村さんには「スケベ」というイメージが定着した。

『セイ! ヤング』では、ハガキ選びもひとりでやっており、アリスのブレイクとともに多忙を極めることになる。

それでも、コンサートツアーの途中でも必ず、ブースに戻って、生放送でおこなっていたという。

下ネタが注目された同番組だが、ほかにも「超心理学入門」など、それに限らないコーナーもあった。

当時の取材で、谷村さんはこんな本音も打ち明けていた。

「『超心理学』のコーナーがあって、ワイセツだけどエレガント、インテリジェンスのある猥談が好きだったんですよ」

いやらしさを感じさせない、谷村さんなりの矜持だったのかも知れない。

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